今では「推し活」という言葉が当たり前になり、SNSを開けば推しの最新情報を秒単位でチェックできる時代です。しかし、私が松竹芸能の芸人、特に2009年に解散したコンビ「DA-DA」を夢中で追いかけていた1990年代後半から2000年代初頭は、今とは全く違う「手探り」の楽しさがありました。
今回は、インターネットが普及し始めたばかりの頃にファンサイトを運営し、ハガキを書き、事務所に電話をかけていた私の実体験をもとに、あの頃のファン活動を振り返ってみたいと思います。
「公式SNS」がない時代、情報は電話でつかむ

今のファンの方に一番驚かれるのが、情報の集め方です。当時は公式サイトもSNSも普及しておらず、メディア露出の少ない若手芸人の出演情報を知るには、「事務所に直接電話をかけること」が当たり前でした。
私は毎月、月初めと中旬の2回、松竹芸能に電話をして「出演情報やライブ情報はありますか?」と聞いていました。初めはものすごく緊張してしまい、聞きたいことは頭に浮かんでいるのに、いざ繋がると言葉がなかなか出てこない状態でした。しかし、ライブへ通い詰め、何度も電話を繰り返すうちに、名前を名乗るだけで「担当マネージャーに代わりますね」と言ってもらえるまでになりました。
マネージャーさんたちも非常に温かい方ばかりで、ライブの入り待ち中には「テレビの仕事が決まりました!宣伝お願いします!」と直接報告をいただくこともありました。さらには、マネージャーさんが帯同していない現場で、芸人さん本人から「次の現場って何時にどこだっけ?」とスケジュールを確認されることすらあったのです。裏方として一緒に活動を支えているようなあの一体感は、情報の少なかった時代だからこそ味わえた特別な経験でした。
「HOTALL」と「CGI」で作り上げた、自分たちの居場所

インターネットが広まり始めると、私は「推しの魅力を広めたい!」と、友人たちに教わりながら自分のファンサイトを立ち上げました。
制作に使ったソフトは、デービーソフトの「HOTALL(ホタル)」です。プロバイダーの無料サーバーを借りて、掲示板は「ティーカップ」、チャットは自分でCGIプログラムをダウンロードしてサーバーにアップロードし、手探りで設置しました。設置作業は苦労の連続でしたが、手順通りにやって無事に動いた時の喜びは、今でも鮮明に覚えています。
このファンサイトが、芸人さん本人との意外な交流の場になりました。掲示板には芸人さん本人が「単独ライブに来てね!」と書き込んでくれることもありました。彼らは書き込むだけでなく、頻繁にファンの反応を覗いて楽しんでくれていたようで、出待ちの際に「掲示板、めっちゃ盛り上がってたな(笑)」と声をかけられることも。アクセスカウンターの数字が増えるたびに、「今日はこんなに多くの人が見てくれた」と、目に見える繋がりに胸を熱くしていました。
岩手の深夜、一秒も聞き逃したくないという「必死の想い」

もう一つの大切な活動が、ラジオへのハガキ投稿でした。私は岩手県に住んでいましたが、たまたま大阪のラジオ電波(よゐこの番組など)を比較的きれいに拾うことができました。岩手から大阪の放送を聴いている人は少なかったはずで、それだけに「自分だけが知っている特別な時間」という感覚がありました。
2時間の番組を余すことなく記録するために、120分用のカセットテープを準備します。ここで欠かせなかったのが、テープへの細工です。A面からB面に切り替わる際の無音時間を少しでも短くするために、テープのリーダー部分をカットするなどの工夫をしていました。毎週録音していたので予備のテープは常にあり、失敗への不安はありませんでしたが、作業中の集中力は相当なものでした。
これは「ハガキ職人としてのこだわり」というような格好のいいものではありません。「大好きな芸人さんの言葉を、一秒たりとも聞き逃したくない」という、遠く離れたファンとしての必死な想いが生んだ知恵でした。
家族が寝静まった深夜、笑い声を必死に堪えながら自分のハガキが読まれるのを待つ時間。「岩手県……」と、自分の県名が聞こえた瞬間の、あの心臓が跳ねるような高揚感は、何物にも代えがたい喜びでした。
便利になった今だからこそ、大切にしたい「言葉の選び方」
今の推し活は、情報量もスピードも圧倒的です。でも、手軽に発信できるようになったからこそ、言葉の重みが軽くなっているようにも感じます。
| 項目 | 昔のファン活動 | 今の推し活 |
|---|---|---|
| 情報源 | テレビ・雑誌・ラジオ・電話 | SNS・公式サイト・動画配信 |
| 収集方法 | 自分で情報を探しに行く | 情報が自然と流れてくる |
| 交流 | 掲示板・チャット・相互リンク | SNSのコメント・リプライ |
| 投稿 | ハガキ | SNS・メール |
昔は情報を得るのも発信するのも、多くの手間と時間がかかりました。だからこそ、一言一言を大切に選び、相手にどう伝わるかを真剣に考えていました。SNSで誰もが自由に発信できる今だからこそ、「その言葉で誰かが不快にならないか」を考え、言葉を選んで投稿することの大切さを、改めて感じています。
まとめ:あの頃の熱狂が、今の私を支えている
2009年11月21日、大好きだったDA-DAは急に解散してしまいました。毎年その日が来ると、「あの時、ライブに行っていたらよかったな」という後悔が胸をよぎります。だからこそ、今推しがいる人たちには「推せるときに推せ!!」という言葉を、心から伝えたいのです。
直接お礼を伝えることはできませんでしたが、あの頃に得た経験や、今も東京へ行くたびにランチをして事務所への熱い思いを語り合えるファン仲間との絆は、私の人生の宝物です。
お笑いが好きだからこそ、自分も笑顔でいたい。そして、その笑顔が「伝染」して周りも笑顔になればいい。当時の不便だけれど熱かった活動を振り返ると、あの頃も確かに「推し活」を全力で楽しんでいたのだと確信できます。これからも、このブログを読んで「よかった」と思ってもらえるよう、あの頃の情熱を胸に言葉を綴り続けていきたいと思います。

